提督歴を振り返って

こんにちは、ショートランド泊地で提督をやっておりましたチヒロというものです。

 

今回の記事では編成とか細かいことには踏み込まず、私がどのように艦これに向き合ってきたのか、そんなことを書き連ねる回にしたいと思います。

 

 

着任

2018年4月の頭でした。確か4月1日だったか2日だった気がします。大学生の頃でした。リアルの友人が以前からやっていることを知っていて、始めたタイミングがその時でした。ちなみに2018年の春は艦これ1期でした。

着任時にサーバーを選ぶのですが、日本の名前のサーバー(横須賀、舞鶴など)はすべて埋まっていて、カタカナのサーバーしかありませんでした。なんとなく馴染みやすいなって思ってショートランド泊地を選びました。この時はこのことが自分の戦果人生を大きく左右するとは知るすべもなく。

着任してからは何時間かプレイしてその後数か月ログインしませんでした。

 

初イベント

19冬と言われている日進イベントが初イベントになりました。長らく放置していた艦これですが、久々にログインして情報を見てみるとイベントを開催しているということで、初挑戦してみました。正確には覚えていないですが、難易度選択は丙→丁→丙だったと思います。この最終海域で手に入れた甲標的丙型がとてもうれしかったことを覚えています。

ネルソンイベントの次のイベントで、小規模かつヌルイベと言われているので記憶に残っている方は少ないと思っています。このイベントで磯風がとても強い特効をもらっていて、勝手に強い艦娘だと勘違いしてのちにLv175まで上げることになりました。

 

19年

いろいろ思い出してみたけどマジで書くことなかったです。この時はライト勢が艦隊強化しているような感じで、イベントも報酬を見つついけそうな難易度を選択し、少し背伸びしてみたり、というムーブでした。最終甲は一度もとったことがありません。

後悔しているのはコロラドイベントで最終丁を選択して夜戦烈風を取らなかったことでした。

 

20年

1月三群失敗

ここから少し状況が変わってきます。

20年1月、それまで雲の上の世界だと思っていたランキングですが、戦果の稼ぎ方を知ってもしかしたら自分にも挑戦できるのかも、と考えるようになりました。

↑19年の最終更新の三群ボーダーです

19年8月にZ後段(戦果400)9月に西方任務(戦果330)が追加され、後半で少しボーダーが上がっています。

 

このボーダー推移を見て、1月に戦果3000を稼いで三群に入ることを決めました。

この時は艦これは生活の一部でもなく、暇があったらやる程度に考えていましたので、戦果砲を撃って少し7-1を回って必要分を稼ごう、というつもりでした。

この時はまだ6-2すら開放していない弱小鎮守府でしたので、一部撃てない戦果砲がありました。ただそれでも1日平均2時間ちょっと時速18のブルネイを回れば3000を超えられる想定でした。

 

しかし1月14日のことです。夕張改二が実装され、六水戦砲(戦果390)の追加がなされます。当然夕張などノーマークで鎮守府にはレベル25の夕張改しかいませんでしたし、6-5未開放でしたのでこの任務はクリアできません。同じ三群を狙う層は必ず砲を撃ってくると思っていましたし、追加された390の分は任務をクリアするか、何かほかの手段で補う必要があることはわかっていました。ただ400程度でしたので、1日のプレイ時間を40分くらい増やせばなんとかなるだろう、と思ったのはその一瞬でした。

 

追い打ちをかけるように、同日のメンテで節分ウィークリー(戦果203)の追加がありました。

6-4のS勝利…

 

は?????

 

この任務はクォータリー任務とは違い、三群を目指す人なら100%やります。

6-1が未攻略でしたので、6-4を何とか早く開放して任務をクリアするか、この任務を捨ててその分を稼ぐかの判断を委ねられました。

この時点で通常の三群ボーダー3000に加えて夕張砲390と節分砲3回の609が加わり、4000が必要になることは想定できていました。

 

その判断は、ブルネイは回りながら、6面を攻略してこの任務と向き合うことにしました。今考えてみればこの判断が最悪だったことは明白ですが、当時は戦果初挑戦ですし、とても焦っていましたし、ワンチャン夕張砲撃たない人がいてボーダーも4000より低く済むんじゃない?とか考えていてこの判断をしたんだと思います。

 

実際、この任務がクリアできたのは最終週でしたので、2回分、戦果406を落としてしまいました。6-5を開放するとかも考えましたが、6-4を1回削るだけで10回くらい出撃しましたし、そのままブルネイで手動戦果をしてボーダーがなんとか4000以下、できれば3700くらいで落ち着いてくれることに賭けました。

 

最後の数日、とにかく戦果を積もうと、追い込みました。撤退が多すぎて時速25ちょいしか出ない疑似空母6編成の3-4も回しました。

人生で初めてゲームのために人との約束キャンセルしたりお誘い断ったりもしました。

 

結果

自分の戦果:4010

500位:4156

 

はい。

一応更新後も稼ぎ続けましたが翌月報酬はもらえませんでした。

 

予測されるボーダーに単に追加された砲を足すだけなら実際3800程度で足りました。この月は節分砲が加わったため。普段よりも多くの人が三群チャレンジをしようと思ったということだと思います。

 

あまりにも悔しかったので、任務砲が復活する3月に再びランキングにチャレンジすることを決めました。

この1月が僕がこのゲームに沼るきっかけでした。

 

3月二群

1月の最大の敗因は任務砲が撃てなかったこと、もとを言えば海域開放ができていなかったことですが。

節分任務は2月も継続していましたから、それに合わせて6-4を攻略しました。6-5を開放して勲章のために6-5のゲージも破壊しました。

2月は主にその辺の強化をしていたと思います。

 

そしてそのころ、コロナの影響で外出が大幅に制限され、アウトドア派の自分はかなりの暇を持て余していました。昔から力を入れていたピアノに最も時間をかけた時期でもありました。ゲームでいうとSwitchは持っていませんでしたが、第7世代のポケモンとかやって暇つぶししたりもしていました。

 

そして勝負の3月、任務砲は全部クリアできる艦隊になったので、まずは全部任務砲を発射します。稼ぐ戦果に関しては任務砲EOの計3080があるので適当にやっていれば三群余裕だろと思い、特に目標は定めずに1月の前半と同じ感じで、ペースにするとday40くらいで稼いでいました。

 

すると月半ばで気づきました(遅すぎ)。

これ、何もしなくても三群は入れるじゃん。この時点で戦果3800くらいありましたので、あとは適当に1-5回るだけでも三群入りは簡単そうです。

ここで、目標を二群に切り替えます。1月のボーダーが4832、節分砲はないので5000稼げば絶対に漏れないと確信したので、戦果5000を目指します。

 

結果

自分の戦果:4900ちょい

100位:4055

20位:5252

 

まぁ20位は惜しかったけど目標の5000(最後の数日、あまりにもボーダーが伸びないので4500で大丈夫だろうと思って手を抜きました)はほぼ達成できたし、OK!

何よりも初めてランキングに成功したことがうれしかったです。

報酬は

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大当たりですね。全部使える装備だったのでうれしかったです。

目玉はパンケーキなんでしょうけど、個人的には空母では瑞鳳が好きで瑞鳳にボーナスがあって、夜間機を持ってないということもあり、夜戦天山が一番うれしかったです。

 

が、もらえた装備に浮かれてたのも束の間

 

一群に配られた夜戦天山

なんか先制対潜トリガーになってるし雷撃流星改だし対空射撃回避ある装備配られてるじゃん。

 

ということで決まりました。

僕は艦これでこの熟練天山を入手することを決意しました。このころには並大抵の知識はありましたし、過去に配られた装備を何度も見返していたので、このレベルの装備はそうそう配られないし、配られたとして一群か聯合であることは理解できていました。どうやらそんな高い目標を設定してしまいました。

 

6月聯合1位

コロナで家にいる時間が増えたとはいえ、ゲームに使う時間はあんまり取りたくないので4月、5月はランキングはスキップです。

任務砲が復活し、また戦果チャレンジの季節です。

この月は前回取れなかった一群が目標です。

↑20年の最終更新の一群ボーダーです

6月が見えてしまっているのでネタバレにはなるのですが、1月から5月の推移を見て、6500を目標としました。

三群狙いとは違い、仮に達成できなくても二群入賞は確実なのであまりこわばらず、どちらかというと自分がどれだけ稼げるか、という感覚で走ることにしました。

 

目標が6500ということで、任務砲EOで3080ですから、素戦果で3300ほど稼ぐ必要がありました。ペースとしてはday100程度ですね。逆に言えばday100稼げるのであればかなり安全に一群を取れるというわけです。

実際に走ってみるわけですが、最初の1週間はday130くらいでした。とはいっても毎日安定して走っているわけではなく、外出がある日とない日の差が顕著でした。主に戦果を稼いだのはブルネイ、たまに3-2に行く感じです。まだまだ強い駆逐艦が多くなくて、3-2は1艦隊組むのが限界でした。

戦果周回が面白くなってきたので、ここで少しペースを上げてみました。月半ばにかけて、外出しない日が増えたこともあり、1日で200以上稼ぐ日も連発しました。

6月16日、ここまでの戦果に仮に砲をすべて使うとすると、5600ほどになりました。この月はまわりの戦果の伸びが控えめであることも見えてきました。目標6500としていましたが、一群はもうほとんど稼がなくても入れるだろうし、せっかく直近1週間平均180くらいの稼ぎも見せられたし、さらに上の「聯合」に滑り込めるんじゃないか?と思いました。当時は聯合は8000あればだいたいは入れていたので、8000を超えるくらいに、を目標にしました。残り2週間の平均はday170稼げば8000というところでした。ここで必殺兵器の3-4疑似空母6も投入、1月はたくさん撤退してましたが、最低限流星改以上で並べられるようになり、時速30前後の速度は出ていたと思います。300近く稼いだ日も何度かあり、半日で250稼いだ日もありました。

ところでちょうどこのころ、Twitterを始めました。

6月25日、戦果の表示値は7000を超え、残りの戦果砲955を加えると8000超えるということになり、メンテを含む5日を残して聯合がほぼ確実になりました。ここで、砲を全部使えば1位に浮上することもわかっています。ということで最後の5日間は1位が目標になります。とにかく稼ぎました。最後に先日作ったTwitterで1位候補のSHUさんに接触をし、1位を譲っていただけるとのことでした。

最終更新で戦果調整も成功してなんと1位でこの月を終了しました。

ランコメにコイル貼っておいたらみんなでコイル並べてくれました。

各日の戦果はこんな感じ。

 

そして月末

背景はまるゆちゃん。三次元の彼女が世界で一番かわいいと思っていたので嫁艦という概念がありませんでした。まるゆ育ててる人なんてそんないないだろ!って思ってなぜかケッコンしているまるゆを人事にしました。

当時は稼働時間で除外されるとか言われていたので、初めての聯合ということもあり、発表までは除外におびえていました。

新実装の銀河江草に加え、ランカー周回で重宝する蛟龍もいただきました。まだまだ弱小鎮守府でしたので、射程長艦爆のKMX熟練も非常にありがたい装備でした。この月の聯合は大当たりでした。

 

20年後半

特筆することはない時期でした。作ったTwitterで色んな人と絡んでみたり。ちょっと忙しくなって艦これログインする日を減らしたり。基本はクォーター砲を全撃ちして無理のない範囲で戦果報酬を受け取る、イベントは無理のない難易度で、という感じでした。

7月三群

9月三群

12月二群

 

21年

この年はTwitterで絡む人が増えたりして急に艦これに時間を使うようになりました。まぁどちらかというと、艦これの戦果周回をマルチタスクでできるようになったことが大きいです。左手にスマホで艦これ、右で日常生活をするというものです。慣れると本当に何でもできますよ。移動中はもちろん、勉強だって料理だって。それでも集中力が落ちるので効率は下がります。僕の場合は戦果周回によって日常のパフォーマンスが75%くらいになる感じでしょうか。本来3時間でできる仕事が艦これしながらだと4時間かかる、という具合です。そしてこのゲームの魅力はそこにあります。いかに日常に支障をきたさずにランキングを取るか、そしていかにマルチタスクへの負担を軽くした周回編成が詰められるか。それを考えることも楽しみの一つです。

1月

ランキングなしだった気がする。

2月多分三群

うーん、何も覚えてないなぁ。

3月聯合3位

この時ショートランド記録を樹立して走っていた英国さんを3年後に目標にすることになりました。当時はそんなこと考えてすらいませんでした。

そして何気にこの時初めてNaoYumiiさんとの初の同時聯合入りです。

聯合限定報酬がゴミだったんですけど、水雷見張りの☆の数がランクによって変わっていたので☆8を得られたのは大きかったと思っています。水雷見張りの☆8と☆4の火力2の差も五連装魚雷と六連装魚雷の火力2の差も同じですから。

4月一群11位

ありがとう謙介。

早くも僕の艦これの目標を達成しました。しかしランキングの勢いはここでは終われませんでした。

そしてこの頃でしょうか、TwitterでMさんという方と知り合います。彼は1期の記録持ちの方で、彼とは絡んだりもめたり。決して良い関係ではなかったのですが、僕は彼を非常に強く意識していましたし、いろいろ学ばせてもらいました。

5月一群20位

うますぎて草。単純にサボりすぎたというのはありますが、この時期にはすでに2回目ながら一群の立ち回りは理解できていました。クォーター最終月で人読みで20位に滑り込みましたが、さすがにリスキーにもほどがあるので反省してもう少し余裕を持つことにしました。

6月聯合4位

何気に初甲種勲章の入手はこのイベントがはじめてでした。台南空などが配られたイベントです。

実はこの月は聯合は狙っておらず、二群狙いでした。ところがこの月の22日にイヤーリー砲が実装。これによって任務消化勢が一気に砲を撃ち、二群ボーダーが異常なほど高くなってしまいました。実際、5月が4000ちょっとだったのに対して6月は5000にもなりました。が、聯合のほうは落ち着いていました。というわけでドカーンとイヤーリーもまとめてぶつけて聯合に滑り込みました。もちろん聯合に切り替えてからはちゃんと稼ぎましたが、素戦果3500くらいしか稼いでないのでday120です。引継ぎがまあまあ強かったですが、day120で聯合ってなに…

聯合限定報酬はバラクーダⅢとかいうゴミ。三群との差は対潜噴進砲の☆だけ。

7月聯合5位

戦果砲持っていなかったので一群狙いでした。しかし、嫌いな提督さんが聯合を目指すという発言をしていたので途中で聯合狙いに切り替えました。4枠だいたい決まっていて5枠目を狙っていましたから、僕が潰せばいいということです。潰しました。嫌いな提督さんは9位だったのでやる必要のない聯合でした。

聯合限定報酬はアフリカ大発Ⅱ号。その後も含めてアフリカシリーズをコンプリートしました。あまり強くないですが、全部そろえられたのはうれしいですね。

8月一群15位

戦果砲がないうえに8月にショートランドでお祭りをやるということで、ここはおとなしく最初から一群狙いでした。結果聯合ボーダーは10475。12000超えるだろうと思って手を引いたのでちょっと残念です。この月は稼ごうと思えばかなり時間をとれた月であったこと、聯合限定で銀河江草が配られていたのでやればよかったなーと。それでもこの月は一群上位まで含めてショートランドのオールスターズという月でした。

9月聯合2位

背景を狙いました。初めて1対1の勝負をしました。結果は大敗です。

こちらは継続上位のために資源を使った戦果周回ができなかった、イヤーリー砲が使用済みとはいえ、引継ぎで500の差があったにも関わらず3000近い差をつけて負けてしまいました。

聯合限定装備はhedgehog。継続上位勢にとっては当たり装備です。

この時、11681の戦果を稼ぎ、しばらくの間これが自己ベになります。全鯖3位でした。背景は取れませんでした。なお、大湊のニートの友人が7500で背景を取ってブチギレたのはまだ鮮明に記憶に残っています。

10月一群15位

安定した良い順位ですね。記憶にない月です。聯合限定で熟練天山☆3が配られていました。羨ましいです。

11月二群23位

初めて芸人をしてしまいました。稼ぎが甘かったのは言いわけできないのですが、ボーダー読みは言いわけさせてください。一群ボーダーが最後の2更新で1100上がりました。さすがに無理です。イヤーリー砲実装によって最後1日で異常なほどの上昇を見せるようです。

そして僕のほかに同じように芸人して漏れているのが聯合複数入賞経験のあるらしあさん、Bryan Chua。砲に頼った雑魚がイヤーリー砲使って継続上位勢を捲るの本当にムカつく。

一群二群の差が改修更新で埋まる差だったのがまだ救いです。

12月聯合4位

得意の引継ぎ戦果が最大の威力を発揮する月が12月です。あまり時間が取れなかったとはいえ、戦果砲をぶっぱして4位に滑り込みました。聯合限定でFritz-Xがもらえました。

 

22年

前年に引き続き継続上位を頑張った年。NaoYumii、Mevoserたちとショートランドを荒らしました。この年のショートランドの聯合ボーダーは他鯖と比べて非常に高く、これはともに睡眠時間を削りあったライバルたちとつくった賜物です。

そしてBOTと疑われるアカウントが聯合に入るようになりました。何か月もの間、毎更新ほぼ変わらない値を稼ぎ続けているアカウントです。BOTを倒すべく動いた8月作戦、最終更新後に演習で捉えられたそのアカウントは常に3-4水雷編成で時速18の戦果稼ぎをしていました。最終更新後、最後の聯合枠をかけて争うその8時間をそんな稼ぎ方を人間がするわけないと思っています。

1月一群15位

安定したとても良い順位です。聯合限定報酬が制式51cm連装砲だったので悔しかったです。

2月聯合5位

戦果砲がなくかつ戦果砲の比率が大きくなる2月、なんとか聯合最後の枠に滑り込みました。聯合限定報酬は制式51cm連装砲。先月の借りを返す形になりました。

Mevoserとは初の同時入賞で、彼はこの月に背景を取っています。

そして僕の継続聯合はここから始まります。

3月聯合3位

誰も背景を狙っていなかったので常に一定の稼ぎ方をするあいつが背景です。

聯合限定報酬は武蔵電探の☆10。武蔵電探は熟練測距儀に更新できますが、☆6→☆10までの餌が非常に厳しい装備です。実質的に熟練測距儀をもらったので大当たりです。

4月聯合2位

特別背景を狙ってはいませんでしたが、狙えば背景が取れた月でした。ただ継続のために戦果砲を無駄撃ちしたくないこと、Twitterでその方と知り合い、背景を狙っているとのことでしたので譲りました。人事並べられて良き良きです。

この月の聯合限定報酬はキ乙☆3。短足銀河江草ですね。短足ですが出撃できれば絶大な威力を発揮します。他にも大和改二実装関連の装備が並べられ、熟練測距儀、15.5副砲改☆10、瑞雲改二と豪華なラインナップでした。

5月聯合3位

背景はNaoYumii。彼が人事をHonoluluにするということで、人事をHonoluluで揃えようという話をしていたのですが、寝落ちして別の艦になってしまいました。

お互い聯合常連だし次の機会は揃えよう、そう言っていましたが、その機会がもう最後ってことだってあるんです。そういう小さなことで後悔しないようにしたいです。

この月の聯合限定報酬はFritz-X。聯合大当たりですね。

ちなみにこの月の聯合ボーダーは10199と、全鯖で唯一の10000超えです。最終更新時は5位か6位だったと思います。条約違反砲で3位安全入賞です。

6月聯合1位

ようやく2度目の背景です。

先ほど出てきたMさんに触発され、12月に記録狙いをすることを決めているのでイヤーリー砲は温存です。

この月は12月に備えて素戦果でどれほど伸ばせるか、という挑戦をするつもりだったのですが、周りがあまりにもしょぼすぎてクォータリー砲にすら手を付けていなかったと記憶しています。素戦果背景です。聯合限定装備はアフリカⅡ号。

7月聯合5位

背景はNaoYumii。この月は非常に激戦で僕は聯合最後の枠をかけた戦いになりました。幸い戦果砲は全て残っていましたから、砲に頼る形でなんとか5位に滑り込みます。この月の聯合ボーダーはまたしてもショートランドが1位を取ってしまいました。10736だそうです。5位なのに他人事?はい、このとき最終更新で僕は6位にいました。どういうことかは察してください。

このことに6位が海外界隈で何かごたごた言っていて、それに対して岩川のIJNさんが何か言っていたのが面白かったです。

そしてこの月の聯合限定報酬はアフリカⅡ号。イベントで入手できる2つも入手し、オールコンプリート。戦果報酬では3回配られていますが、いずれも聯合限定と、オールコンプリートの難易度が高い装備かなって思っています。

8月聯合4位

BOTとの決戦の月。この月は非常に印象深い月でした。

聯合ボーダーは10571と、相変わらず高い値を連続してたたき出すショートランドです。正直2カ月連続5桁はきついです。今思えばよくこんな魔境ショートランドで継続聯合をしていたなと思います。

この月は聯合最後の2枠をMevoser、BOT、僕の3人で争う構図になることが10日くらい前からわかっていました。BOTが毎更新同じ稼ぎ方をして聯合を継続していることを不快に思うショート勢が、この月でBOTを落とせとそそのかしてきます。もちろん、受けて立つほかありません。

最終更新、僕は6位で10518。条約違反75を抱えていたので実質10593です。4位のMevoserが10580くらいで、5位が10571でした。こんな近くに4~6位が集まるわけですから、更新後は地獄です。Mevoserが演習二群に設定していた甲斐もあり、5位を捉えます。

Mevoserは14時から最終更新まで戦果を稼いでおらず、5位が3-4水雷編成をしているのを見て絶望します。僕が75残していることは共有していたので、彼は現状6位です。しかし彼がここで降りるとBOTを倒すことができなくなるので、BOTがあまり稼ぎきれないことにかけて最速で周回するよう説得しました。

稼いでいて、BOTはちゃんと3-4水雷編成を使っているにもかかわらず、時速18、それも毎時間決まって18しか増えていないことがわかります。最終的に僕とMevoserはそれぞれ時速30程度の戦果稼ぎをしてなんとか4位、5位に滑り込みました。

BOTの稼ぎ方もおかしくて、毎月決まって条約違反をする僕は無視してMevoとの一騎打ちになるはずなのだから全力で戦果を稼がないのはおかしいし、仮に僕が条約違反を持っていないとしても、53しか差がなくて時速25ですら捲られるのだからやはり時速18という稼ぎ方はおかしいというわけです。

何はともあれなんとか最後の2枠に同時入賞できました。8月の聯合限定報酬はアフリカⅢ号戦車でした。これによりアフリカシリーズをコンプリートします。Ⅱ号戦車と違ってちゃんと使える装備なのも良いですね。

9月聯合4位

継続聯合としては最後になります。効率的な艦隊運用をするため、一部資源を自然回復下に置いていたこと、また、先のイベントでバケツをはじめとして多くの資源が削られてしまったことなどから、12月の記録に備えて引継ぎ戦果よりも資源の回復を優先させるためです。

そしてこの頃からリアルのほうがとてつもなく忙しくなってきます。基本スタンスを戦果周回は常に他の作業と並行するというマルチタスクを取っているものの、それでも戦果周回によって集中力が落ちるなど、日常への負担は無視できません。

結果から言うと、記録狙いはこの月にやっておくべきだったと思っています。

聯合限定報酬はホニ車。大当たりですね。他にも熟練誘導弾が一群以上で配られていました。

10月二群100位

草。なんでこうなったんだっけ。

二群と三群の差はC型改二☆7。

備蓄してました。

11月二群

備蓄してました。リアルのほうがどんどん忙しくなっていきます。

12月聯合1位ー引退

この月は記録狙いをして走りました。目標は2万です。持てる資源をすべて戦果につぎ込みます。引継ぎが2000弱、EOQYFBで4960となり、7000がスタート地点です。残りの13000を稼げばよいわけですから、day420で達成できるということになります。

ところが走り出してみるとあまりの多忙にday400が限界です。8日目に10000に到達しました。計算上この時点で2万達成が厳しく、何とか後半の自分を信じて2週間稼ぎ続けましたが、13000を超えたあたりで断念してしまいました。

当時の自分の価値観としては戦果を走りきるということよりも、何が何でも2万を達成する、それが無理ならば走る意味がない、と。これは自分の性格もありますが、何度も出てきたMさんが1期歴代3位の記録を持っていたからです。彼は2期は記録狙いはできないので、彼に結果で示すために、2期で3位を超える、2位の実績を残そうとしました。Mさんは自身の実績である16500を超えたら格上とは言っていましたが、当時の自分には腑に落ちないものでした。

そういうわけで、計算上どうやっても2万を達成できない、どころかこのペースだと18000すら難しいという状況になり、記録から逃げたというわけです。

同時に、艦これも引退しました。それ以後、12月はほとんどログインしていません。最後の一日くらい戦果稼ぐか、と思ったものの、100くらいお気持ちだけ稼ぎましたがその時間はとてもつらかったです。自分にとって戦果を稼ぐ、ということが心の傷を抉るようなものになってしまい、一度距離を置くことにしました。

居場所がなくなった僕は、Twitterの表アカウントも消します。裏アカウントだけ残して隠居することになりました。

そして、そこで稼いだ13603という記録が呪いとなってしまいます。艦これからは逃げたけど、逃げても自分の中にはまだ心残りがありました。いつかどこかでリベンジしてやりたいという思いはないわけではなく、その気持ちは時間がたつにつれて大きくなっていきました。

しかし、問題はこの月に13603という記録としてみたらしょぼいものの、いざ目標にしようと思うと並々でない数字を叩いてしまったことです。2万リベンジが無理だとしても、何をどう考えても少なくともこの値を超えずしてリベンジなんてありえません。22年の12月以来、この記録を吹き飛ばすまでの1年3カ月、この数字に悩まされることになります。

そして並走してくれたNaoYumiiさんには本当に申し訳ないことをしました。22年の魔境をともに築き上げ、最終月も僕の記録狙いについてきてくれたのに、こちらからは何の説明もなく勝手に逃げるということをしてしまいました。

それでも一応、背景は取りました。NaoYumiiさんも黒潮ちゃんで揃えてくれました。

聯合限定報酬は陣風。そして皮肉にも蛟龍の3本目も報酬として手に入れました。

 

23年

この年は引退していました。艦これ周りの人間関係も落ち着き、最初のほうは本当に何も触らなかったのですが、ちょくちょく現れては戦果砲だけ撃って三群報酬を搔っ攫ったりもしました。

5月三群

任務砲が残っていてもったいなかったのでぶっぱなちました。

7月三群

任務砲をぶっぱなちました。二群以上のAU-1がうらやましいです。

8月二群96位

少し時間があったのと、少しだけ戦果を稼いでみたいと思うようになり、素戦果で二群に挑戦しました。

良い順位ですね。

10月二群99位

こちらは任務砲+手動です。この頃からリベンジすることを少し考え始めました。

11月三群

覚えていません。

12月二群

二群読み慣れてきたので少し面白いことをしてみようと。最終更新で500位より下。更新後に条約違反1125撃って二群を取るチャレンジ。

成功しました。人事に乗っていなかったので90位付近でしょうか。

 

イベントは春はスルーして夏だけやりました。

こんな感じでだらだらと23年を過ごします。

 

24年

リベンジを決意した年です。相変わらず時間はそれほど取れません。それでも1月から3月までならまだ幾分時間がとれそうでした。

手始めに1月の数日間、聯合の戦果稼ぎがどんなものだったか、感覚を取り戻すような意味で稼ぐことにしました。最初の4日はマルチタスクもできない用事が入ってしまったので戦果は控えめでしたが、マルチタスク体制に入ってからはday200を積むことは容易でした。早くも聯合ペースができるとわかりました。

そこからは全てがあっという間でした。今年はどうだ、やはり後半になるにつれて時間は取れなくなる、3月はどうだ、引継ぎ戦果こそないものの、逆に考えることは少なくて済む…ということで1月7日に、3月にリベンジを行うことを決意しました。

1月聯合4位

前回の記録の際に、2カ月かけても資源が完全に回復しきらなかったことから、この時点で本当にやるべきことは資源を回復させることでした。でも今回は記録狙いではありません。結果的には記録狙いだけど、もとはと言えば思い出を塗り替えることでした。戦果が好きだったと言って終わりたい、その一心でした。まずこの1月に聯合をして、自分は強いんだということを再確認してから3月に挑みたいと思いました。やることは決まっています。3-2用に180艦を作って資源を回復させながら聯合です。

最終更新で7位、条約違反で3人ぶち抜いて4位にて聯合入賞です。聯合狙いが7人もいたため思ったよりも走らされました。最終更新9500あたりだったので、1月からいきなり10600くらいは知ったことになります。しかも戦果砲は12月で半分以上使ってしまっていたのでかなり大変でした。

2月

戦果は稼ぎませんでした。1月の激戦を制したので自信に満ち溢れています。すべての駆逐艦海防艦軽巡級、潜水艦、戦艦、空母、任務砲で使う指定艦にキラをつけました。7-4で燃料を回復、キスクルで弾薬を回復、レベル1の戦艦空母重巡から燃料弾薬を回収する儀式も行いました。すべてのリソースを資源回復につぎ込みましたが、それでも燃料25万、弾薬10万で終了です。バケツ2900まで回復したのはいい感じかな。それでも、いまでも1月は聯合やってよかったと思えました。

3月聯合1位(暫定)

いよいよリベンジの月です。戦果周回の内容に踏み込んだ詳しいことは別記事にて紹介しようと思いますので、ここでは割愛します。リベンジとはいっても、22年12月とは違い、強さとかよりも自分への挑戦、そして最後に楽しいと思えたか、そういうところだったと思います。

当初の目標は14000です。

まず、人間関係をすべてカットします。すべての戦果を並行できないお誘いを断りました。彼女カットは幸いにも準遠距離なので忙しいってことにして特に不信感も抱かせることなく、3月の間一度も会わないようにしました。仕事も可能な限りカットしたのですが、そこはそれでも結構残ってしまいました。覚悟はFB以上です。

自分を追い込める状況は全て作り上げたのであとは走るだけ!という形になりました。走りました。もうずっと仕事と戦果と睡眠の1カ月でした。というか睡眠とか毎日3時間4時間とかだったと思います。

メンテが明けた3月1日、その知らせは突然でした。提督上限値が解放されました。あのNaoYumiiが、22年にともに魔境をつくりあげたNaoYumiiが、もう二度と走れないと思い悔やんでいたNaoYumiiが、なんとお墓から飛び出してきたのです。

NaoYumiiには2年前、詫びても詫びきれないことをしてしまいました。それでも即座に並走を決めてくれました。それも並々のペースではありません。イベントを進めながらもいきなりday350のペースで突っ込んできます。こちらも気を抜けば抜かれてしまうペースです。というか14000目標だと確実に抜かれます。彼が僕をさらに押し上げました。こんなところで弱いところを見せるわけにいかない、と。彼の存在もあり、仕事の少ない最初の1週間でday平均440を積みます。そこから20日くらいまでの2週間はモチベーションを保つのが一番難しい時期です。モチベーションを保つために戦果砲は13日で撃つと決めました。やはりday戦果は大幅に落ちましたが、それでも全体の平均が400を下回らないくらいには稼ぎました。同時期にNaoYumiiも戦果砲を全発射しました。戦果砲を発射して5桁に載せてからは順調で、ちゃんと400を積み続けました。正直、この時期をちゃんと全体平均400で乗り切れたのは彼の存在だと思っています。寿命が3600万しかないなか、よくあんなにバカのように戦果を稼ぎ、戦果砲も全部使ってくるなと。

 

NaoYumiiを巻き込めてとても嬉しかったのですが、3月はほかにも何人か巻き込みました。パラオの栗ご飯の提督さんは僕をどうしても引退させたくないらしく、そしていつか言質にとられた「12か月継続聯合」をかけて戦うことになります。僕が勝てば艦これ引退、栗ご飯さんが勝てば僕が12か月継続聯合、という内容でした。勝負には勝てたのですが、そんなことよりも真っ向勝負を挑んできてくれたこと、結果は及ばずとも、本気で走ってくれたことが嬉しかったです。昨年聯合チャレンジをすると言い、Y砲を撃ってなお8000すら稼げずに漏れた人の稼ぎではないです。忙しい3月と言いつつも、後半は体調壊しながらも300超えるペースで殴ってきました。

他にも宿毛の銀色の方は聯合並走(本当は背景の予定だったのですが、墓開放によってY提督に背景を譲る形になりました)、岩川のぱんだ妖精の方は1ページ目並走してくれました。ぱんだ提督には直接お会いして応援もいただきました。人間関係をすべて断ち切っている以上、提督オフは想像以上に嬉しいものでした。

実はオフでいうとウルガモスの人にもオフをしていました。次があれば退艦オフになるので楽しみです。

 

そして最終10日、戦果稼ぎの辛さよりも、もう戦果を稼げなくなってしまうことに対する恐怖、寂しさなどの感情が上回りました。仕事のある日も450積んだり、最後の5日はインフルエンザになったことにして仕事を吹き飛ばし、平均600以上を積みました。

 

そしてこの月に稼いだ素戦果は13602。2年前の12月の自己ベの13603に1足りない結果でした。蓋を開けたらでした。最高にして最大の皮肉で私のランキングを終えることになります。

 

 

 

 

 

 

ありがとう、ショートランド